田端信太郎さんのTwitter名言「慶応大学を留年したけどプログラミングのバイトで稼いでいた」

はいどうも!

田端信太郎ウォッチャーです。

今回の田端信太郎さんのTwitter名言は「慶応大学を留年したけどプログラミングのバイトで稼いでいた」です。

今回は石川県から上京してきて、慶応大学の経済学部に進学したときのお話です。

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慶応大学の授業はつまらなくていかなくなってしまった

田端信太郎さんは、田舎である石川県で、情報に対する飢餓感から東京に住んで色んな面白いものを知りたいと思って上京してきたので、すぐに大学の授業はつまらなくて行かなくなり、必修科目である統計学の単位を落として留年してしまいました。

田端信太郎さんが慶応大学の2年生の1995年に、田端さんはネットスケープ・ナビゲーターという世界で初めて、インターネットを閲覧する、モザイクという名前のブラウザを作った会社が上場して、創業者らが億万長者になった話をニュースで見ました。

いまでは創業者のひとり、マーク・アンドリーセンは当時まだ若干24歳で、自分となんら変わらない若者であったことに大変な衝撃を受けました。

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田端信太郎さん、ネットサーフィンとプログラミングにハマる

ネットスケープ・ナビゲーターのIPOのニュースを受け、世界では面白いことが起きていると感じ、すぐに秋葉原まで出かけ、モデムを買い、自宅でネットサーフィンをするようになりました。

当時は今と違って、月々に定額を払えば光回線が使い放題ではなく、従量課金、つまり使えば使うほど電話代がかかってしまう方式でありました。

ダイヤルアップでインターネットに接続するため、月々の電話代が5万円ほどかかってしまう月もあり、実に苦労をしたようです。

田端信太郎さんは、はじめはHTMLの日本語の部分だけ変更してみたり、ソースコードを勉強して、既存のサイトを見よう見まねで覚えていき、自分でウェブサイトを作れるようになっていました。

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田端信太郎さん、プログラミングで法人向けのウェブサイトでお金を稼ぐ

デジタルハリウッドというコンピュータの専門学校が秋葉原のすぐ近く、神田淡路町に創設され、インターネットで知り合った人に誘われ、デジタルハリウッドの講師の助手のアルバイトをするようになったのです。

当時を振り返って、バイトの合間に無料でネットサーフィンができるだけでも楽しかったようですね。

その上、しっかりと給料が発生していたし、有名な会社の社員の方々が、デジタルハリウッドの生徒として通っていたことを目の当たりにして、技術を身につけるってすごいことなんだな、と思うようになりました。

また当時のサイト作成は1ページ3〜5万円という価格が相場だったことから月に30〜50万ほどのバイト代を稼ぐこともありました。

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まとめ

大学にももちろん通っていたのでしょうけど、好奇心旺盛な大学生にとって、月数十万のおこづかいがあれば欲しいものはなんでも手に入りますし、なにより面白かったので、インターネットの世界にのめり込んでいきました。

当時はどの企業もホームページを作り始めていて、ウェブサイトを作れる人材は引く手あまたでありました。

ちょっとHTMLがわかればすぐに稼げるような時代だったのですね。

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